バレーの練習中に思いっきり嘔吐して学んだこと

こんにちは、しゅんえいです。

 

人生の23年間のうち、9歳〜18歳の9年間、
僕はバレーボールに励んでいました。

何か1つのことを9年間本気でやるというのは、
なかなかできないことだなと今になって思います。

 

僕がバレーを始めたのは、友達の翔太君のお誘いからでした。

そこから僕のバレー人生が始まって、
今は遊び程度ですが週一でソフトバレーをするのも趣味の1つです。

 

バレーを始めたことで、ある意味僕の人生は変わったんだなと思います。

そこで得た忍耐力や、努力や、精神力をバレーで鍛えてもらいました。

今ではそこで得た教訓のおかげで、
サラリーマンを脱サラして、独立3年目を迎えることもできています。

それまでのプロセスは、「僕たちに、もう会社は必要ない」
という電子書籍にまとめているので、
興味のある方は読んでみてください。

 

小学生と中学生の頃には全国大会にも出場しました。

 

逆に、練習は尋常じゃないくらい厳しかった・・・
(特に小学生の頃は)

ですがその分、上記のように得られた教訓も多かったので、
今回はバレー人生から学んだ教訓を、僕のストーリーと交えて話そうと思います。

 

まず、結論から言いますが、
練習中に思いっきり嘔吐しました。

いやー、あの瞬間は死んだかと思った…

床を見たら、僕の胃液やらその前に食った物たちが思いっきり出ていました。

せっかくなので、その経験から学んだことも書いていきます。

 

ぶっちゃけ、練習はいつも地獄だった

 

僕が「バレーを辞めたい…」と思ったことは何度もあります笑

なぜなら、練習が厳しすぎたからです。

 

時にはボールが僕の耳に飛んできてしばらく耳がキーンと鳴っていたり、
気づいたら涙がこぼれ落ちてたことなんてしょちゅうありました。

僕は毎回練習中で怒られてばかりの少年で、
時にはチームメイトから「あいつはセンスがない」的な目線を浴びせられることもありました。

 

同い年のチームメイトは僕を含め6人いたので、
その6人がレギュラーとして出ていましたが、
今でも僕は6人中6番目です。

元々、運動神経がよくなかったのだと思いますが、
どこのポジションをやってもこれといったプレーはできていなかったです。

小学生のまだ幼い少年でしたが、
そういう精神的なストレスに駆られて、
よく親に「辞めたいんだけど」と言っているのが懐かしいです。

 

今思うと、小学生の頃の練習が精神的に1番キツかったです。

練習前はいつも胃がキリキリしていたし、
若干サザエさん病的なものも発症していました笑

(丸で日曜夜のサラリーマンみたい…)

練習は土日の週2日あって、
基本どちらも丸一日をバレーに費やしていました。

たまに日曜が半日の時もありました。

 

とはいえ、支えてくれた親御さんたちには感謝

 

いくら練習がキツかったとはいえ、当時支えてくださった親御さんや
チームメイト、監督、コーチにはとても感謝でいっぱいです。

多分、バレーの経験がなかったら
相当甘えた思考を持った人間になっていただろうし、
バレーが趣味になんてならなかったです。

 

体育館を使わせてもらうのも、
少なからずお金がかかっていただろうに
その親御さんたちの支えがあって今の自分があるんだなと。

だから尚更、当時のチームメイトや支えてくださった方には感謝しないといけないですね。

 

今は年2回くらいですが、当時の監督とチームメイト達と地元で飲みにいきます。

みんな相変わらずで、
僕は少しだけいじられキャラだったので
いまだにいじられてばかりですが、これもこれで楽しい瞬間です。

 

スライディングをしようとしたその時、
身体の中の物が全て出た感覚がした

 

さて、話を戻しますが、
僕はいつも怒られてばかりの少年でした。

自分に自信がなくて反抗することもできない、
かなり精神的にもか弱い少年だったと思います。

チームメイトから舐められることが多かったのですが、
今思うともう少し言い返すくらいはしてもよかったのかなと笑

 

大事な県大会前とかになると、いつも以上に練習が厳しくなって、
監督はまるで鬼の形相のような顔で指導していました。

チームスポーツは基本「連帯責任」なので、
一人が怒られるとみんな同罪のように怒られます。

そのせいか、よく「連帯責任だー!」と叱咤され、
そのままコートの周りをスライディングされられていまいした。

 

そして、それは監督が「OK」の指示を出すまで、ずっと続いていました。

なので、次第に僕の体調がどんどん悪くなるのを自分でも薄々感じでいました。

「あ、これやばい、俺吐くかも・・・」

特に当時は真夏の出来事だったので、
あの真夏の扇風機も使えない体育館の中で
必死にスライディングをかますのは地獄以外の何者でもなかった…

 

そして、連帯責任のペナルティが何回か続いて、
スライディンをしようとしたその瞬間…

「ドバドバドバドバ…」
※以下何度かループ

思いっきりその前に食べていた果物(特にみかん)や、
飲んでいたポカリスエットが全て出て嘔吐しました。

 

嘔吐している最中、「あ、やってしまった」と何度か嘆いていました。

しかし、いくら心の中で嘆こうが、
容赦無く口から滴り落ちてきました。

 

そしてその嘔吐達を、チームメイトが処理してくれていて、
(わざわざありがとう!)僕は30分くらい練習を休憩しました。

吐くくらいまでやったのは最初で最後だったので、
この経験は僕にとってもいい思い出の1つになりました。

 

練習中に嘔吐して学んだこと

 

終始汚い話で申し訳ありませんが、
この経験から学んだことがいくつかありました。

それは、

・人間、吐くくらいまで何かを一生懸命やればそれが糧になる
・周りの人たちのありがたみ
・努力した経験はその後の人生の大きな武器になる
・何かを諦めるのは簡単だけど、継続した先の結果はハンパない
・才能が無くても結果を出すことはできる

ということです。

 

アフィリエイトや他のネットビジネスにも、
上記の要素は当てはまるのでは?と思ってます。

確かに、吐くくらいまでコンテンツを作ったか?と言われたらそこまでやってないし、
ネットビジネスを諦める人はたくさんいるけど、継続した先にある結果は大きいです。

いい意味で自分に「報酬」として返ってきますしね。

 

それに、ネットビジネスの世界は才能なんかも関係ありません。

結局、何かを極めようとするなら、
「吐くくらいまでやってみる」のも大事なんだなと。

 

なかなか大人になったら何かを本気で取り組むっていう経験が少なくなります。

強いて言うなら、
「サラリーマンとしての仕事を一生懸命やる」くらいでしょうか。

とはいえ、その仕事でさえも疎かにしている人は多いし、
アフィリエイトなどのコンテンツビジネスを始めても
「時間がなくて〜」「お金がなくて〜」などの甘い言葉を平気で吐いて
そのまま辞めていく人が多いのが今の現状です。

 

それならまずは、吐くくらいまで取り組んでみれば
きっとそこから得られる結果も大きいのでは?と思います。

 

あくまでも感覚的ではありますが、
習い事を必死に頑張る少年のように、大人になっても何かを極めることができれば、
それに応じて自分の対価も多大なものになるんだな、と思った経験でした。

 

 

追伸

他にも、ビジネスに特化した僕のストーリーを交えた記事を書いてます。
こちらも人気記事なので、ぜひ読んでみてください。

お金と時間の束縛から解放された今でも、なぜ資産(コンテンツ)を作り続けるのか?

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